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【NIKE】パフォーマンス アウトドア ブランド「ACG」を刷新。甲斐大貴・高村貴子がアスリートチームに加入

NIKE(ナイキ)は、自然の中で躍動するアスリートのためのパフォーマンス アウトドア ブランドとして「ACG(All Conditions Gear)」を刷新し、新たに展開することを発表しました。

 

 

ACGは、アウトドアを楽しむための挑戦や冒険、そして人との繋がりを求めるすべてのアスリートのためのアウトドア パフォーマンス ブランドです。40年にわたり、世界中の冒険心あふれるアスリートに寄り添ってきた歴史を背景に、創設当初からの使命である、あらゆる環境(トレイル、山岳、そのほかのさまざまなフィールド)で限界に挑むアスリートに対し、インスピレーションとモチベーション、そして優れたギアを提供してきました。

今回の刷新は、アウトドア パフォーマンスへの新たなコミットメントを示すものであり、より大胆なビジョンと姿勢に突き動かされながら、アスリートたちの最も大胆な夢の実現を目指すという決意が込められています。

ACGは、トレイルランニング、ハイキング、探検の3つにフォーカスし、アウトドア アスリートのためのパフォーマンス イノベーションをプロダクトで牽引していきます。フラッグシップモデルである「ACG ウルトラフライ」や、耐久性に優れた「ACG ゼガマ」といったトレイル向けフットウェアに加え、「ラディカル エア フロー レーシングトップ」や「ラバ ロフト ダウンジャケット」など、目的に応じて設計されたアパレルが展開されます。

また、ナイキ トレイルはACGへと移行し、ナイキが誇るランニングの歴史を活かすことで、さまざまなレベル・強度のアウトドア アスリートのパフォーマンスを支えるイノベーションを提供します。

ACGのアウトドア アスリートへのフォーカスは、自然の声に耳を傾け、スピードに挑戦するエリート トレイルランナーが集う「オール コンディションズ レーシング デパートメント」にも広がります。既存の22名のメンバーに加え、今シーズンは甲斐大貴選手、高村貴子選手の日本人2名を含む、計6名が新たに参加します。オール コンディションズ レーシング デパートメントはACGと協力し、試作品のテストや改良を行いながら、トレイルコミュニティのためのパフォーマンスの未来を切り拓いていきます。

 

オール コンディションズ レーシング デパートメント 新メンバー

・甲斐大貴(日本)
・高村貴子(日本)
・カン・ヒョンジ(韓国)
・コ・ミンチョル(韓国)
・ジェニファー・リクター(米国)
・アダム・メリー(米国)

 


ACG、トレイル業界全体の発展にも貢献

ACGはまた、次世代を含むすべてのアスリートに向けて、サポート、アクセス、機会を提供することで、トレイル業界全体の発展にも貢献しています。今年は、崇礼168ウルトラトレイルのスポンサーを務めるほか、「Broken Arrow Skyrace」および「Gorge Waterfalls」と新たにパートナーシップを締結し、インディペンデントなトレイルランニングイベントへの継続的なコミットメントを示しています。

新しいブランドボイスとキャンペーンは、ACGのアイデンティティやビジョン、情熱を表現し、アウトドアへの冒険とスリルを感じさせるとともに、さまざまな場所にいるアスリートの冒険への備えを支えます。

■ACGの詳細は、公式サイト(https://www.nike.com/jp/acg)およびSNSの@ACGにて確認できます。

 


 

ACGの誕生

すべての始まりとなった1枚の写真

 

1978年、写真家ダイアン・ロバーツは、K2ベースキャンプにおけるリック・リッジウェイとジョン・ロスケリーの姿を撮影しました。この写真は、ナイキの ACG(オール コンディションズ ギア)の始まりを示す一枚となりました。

 

世界で2番目に高い山であるK2のベースキャンプで、2人のアメリカ人登山家が装備に囲まれて座り、背後には雪に覆われた稜線がそびえ立っていました。その表情は、山で過ごした68日間によって引き締まっていました。2人は当時、ナイキの長距離ランニングシューズの中でも最高峰の一つであった、黄色の「ナイキ ロング ディスタンス ベクター(LDV)」を着用していました。1978年に登山写真家ダイアン・ロバーツによって撮影されたこの写真は、後にナイキにとって最も意外な原点の一つとなります。

 

想定外のスポンサーシップ

ナイキはこの遠征隊に対し、ベースキャンプまでの110マイルに及ぶアプローチのため、軽量なトレーニングシューズを提供していました。この写真に写っている登山家の一人であり、当時を代表するアメリカのアルパインクライマーであったリック・リッジウェイは、「ほとんどがオフトレイルでした。到着する頃には、かなりボロボロになっていたことは想像できると思います」と振り返ります。

 

当時、多くの登山家はヨーロッパ製の硬いレザーブーツを使用していましたが、LDVは柔らかく、通気性があり、動きやすいシューズでした。リッジウェイは、「岩の上を跳ねるように移動でき、荒れたトレイルで岩を飛び移る場面にも対応できました。通気性も良く、従来のトレッキングシューズより機能的に優れていました」と話しています。

 

LDVは、ビル・バウワーマンと、オレゴン州ユージーンの整形外科医デニス・ヴィクシーによって設計された、 軽量でストレート ラスト構造のスタビリティ ランニングシューズ「ナイキ LD-1000」をベースに進化したモデルです。

 

当時、ナイキはまだアウトドア市場に参入しておらず、これらのシューズは単なる善意による提供にすぎませんでした。これがまったく新しいカテゴリーを生み出すきっかけになるとは、誰も予想していませんでした。

 

LDVは当時のナイキを代表する長距離ランニング シューズの1つであり、 登山用ではなく、軽さ、スピード、快適性を重視して作られていました。

 

下山時には、ファブリック製のスニーカーはほとんど崩壊寸前の状態となり、リッジウェイとロスケリーはテープと接着剤で補修しながら車道まで戻りました。その過程で、軽量性と柔軟性を保ちながら、より実用的なトレッキングシューズへ改良できるのではないかという発想が生まれました。帰国後、破損したLDVはナイキへ送られ、これがナイキ初のアウトドア フットウェアライン、そして後のACG誕生のきっかけとなりました。

 

一般的には「ロング ディスタンス ベクター」として知られていましたが、ナイキ社内では、ユージーンの足病医であるデニス・ヴィクシーがラストを製作したことから、このモデルは「ロング ディスタンス ヴィクシー」と呼ばれていました。

登山からコンセプトへ

その後、ナイキのデザインチームは登山家たちのフィードバックを基に、軽量で耐久性の高いフットウェアの開発を進め、1980年代後半にはアウトドア市場への本格参入を果たします。1989年には「オール コンディションズ ギア(ACG)」として正式にローンチされ、ランニング、ハイキング、クライミング、アウトドアでの探究を行うアスリートのための統合的なラインが展開されました。

 

1989年のACGデビュー以前に発売された「ラバ ドーム」は、トリップ・アレンとモンテ・メイコによって、美的なスタイリングと軽量設計を備えたナイキ初期の軽量ハイキングシューズの一つとして制作されました。

 

このモデルは、LDVを履いてK2へのアプローチを行った登山家リック・リッジウェイとジョン・ロスケリーの体験に着想を得て、ニューハンプシャー州サコで製造され、ナイキ初期のアウトドアに対する考え方を形作るとともに、後にACGへとつながる製品系譜の形成に貢献しました。

 

K2で撮影された写真と、登山家たちによる現場での実体験に基づくメモに着想を得て、ナイキのチームはハイキング シューズの在り方を再構築しました。その結果生まれたのが、機能的ミニマリズムというパフォーマンス ミニマリズムへのカテゴリー転換でした。後にACGを率いることになる生粋の登山家、カーク・リチャードソンは次のように話しています。「登山家たちはその本質を深く理解しています。ナイキは直感的にそれを理解していました。バウワーマンとナイトは完全に正しかったのです」。

メイン州エクセターおよびサコで製造された新しいデザインは、軽量なアッパー、ワッフルソール、そしてナイキのランニングの系譜から直接派生した耐久性の高いミッドソールを特徴としていました。登山家やトレイルランナーにとって、それは革命的な存在でした。速く、柔軟でありながら、岩場やガレ場の衝撃に耐える十分な保護性を備えていたのです。リッジウェイは次のように話しています。「トレーニングシューズをトレッキングシューズに変える。そんなことをした人はいませんでした。ある意味で革命的でした」。

 

1982年に初めて発売された「ナイキ アプローチ」は、ナイキをアウトドアカテゴリーへと移行させるきっかけとなった初期のハイキングシューズ3モデルの一つで、ニューハンプシャー州エクセターのサコ工場で製造され、ワッフルアウトソールとレザーおよびコーデュラ素材のアッパーを組み合わせたナイキ初のGORE-TEXライニング採用シューズとして、後にエア フォース 1にも影響を与え、ACGへと至る重要な一歩となりました。

 

これらの初期デザインが市場に投入される中で、リッジウェイはプロトタイプのテストを続け、ナイキのデザイナーたちとやり取りを重ねました。また、初期広告の1つであるナイキ アウトドアとして初のキャンペーンには、ロバーツが撮影したK2でのリッジウェイとロスケリーの写真が使用されました。そこに添えられたキャプションは、「Not everyone was willing to wait for our hiking boots.(私たちのハイキングブーツの登場を待っていられない人がいた)」というものでした。

大きな登攀

1980年代半ばまでに、ナイキのアウトドアにおける試みは、単発のプロジェクトから確立されたデザイン哲学へと進化していました。しかし、統一されたカテゴリーが存在しなかったため、ハイキングブーツ、トレイルランニングシューズ、小規模なアパレルの試みが混在し、名称や明確な目的を共有しないまま分散していました。その状況が変わり始めたのは1987年のことです。社内の少人数チームが、ナイキのアウトドアへの取り組みを正式に体系化する任務を与えられました。当時プロダクトマーケティング担当副社長であったトム・クラークによれば、ナイキは以前からアウトドア事業への参入について議論しており、プロダクト担当者の中にも熱心なアウトドア愛好家が揃っていました。

 

「Because It’s Not There(そこにないから)」(K2をフィーチャーした1978年のプリント広告)。

 

チームは、登山専門家向けに重く硬いギアを作り続けていたヨーロッパのレガシーブランドが支配する市場に好機を見出しました。さまざまなコンディションでの動きを想定して設計されたスポーツギアを生み出す機会があったのです。クラーク、リチャードソンをはじめとするビーバートンとエクセターに拠点を置く少人数のチームは戦略の構想に着手し、フットウェアとアパレルを、高性能、耐久性、汎用性、そして機能的完成度という4つの理念に沿ったコレクションとして展開していきます。これはパフォーマンス アウトドア フットウェアにおける大きな転換の始まりであり、その流れはアパレルにも及びました。この構想は急速に支持を集め、2年以内に本格的なアウトドア事業計画が策定されました。

 

1984年にマーク・パーカーによってデザインされ発表されたエスケープは、初期サンプルがランナーから即座に高い評価を得たことを受け、ナイキが正式にトレイルランニングへ参入する節目となりました。

名前が定着する

ナイキのアウトドア計画は形を成しつつありましたが、ふさわしい名称はまだ存在していませんでした。ちょうどその頃、ナイキ ランニングでは、あらゆる天候に対応する通年型パフォーマンス アパレルの小規模ラインに「オール コンディションズ ギア」という呼称を使い始めていました。さまざまな天候にも対応できるギアを目指すという思想の重なりにアウトドア チームは注目し、クラークのチームはこの名称の存在を知って、新しいコレクションを定義する名称として採用しました。それは、地形や天候に左右されずパフォーマンスを追求するというナイキの姿勢を体現する名前であり、10年前にリック・リッジウェイとジョン・ロスケリーのK2登攀を突き動かした精神とも呼応するものでした。

 

初期チームは、コアなアウトドア アスリートから本気のブランドとして受け止められることを目指し、モアブのキャッスルトン・タワーズでのクライマー撮影などを行いました。

 

1989年までに、ACGは正式なものとして立ち上がりました。リチャードソンの指揮のもと、ACGは、ランニング、ハイキング、クライミング、そしてアウトドアでの探究を行うアスリートのために設計された、フットウェアとアパレルの統合的なラインとしてローンチされました。ナイキはそのデビューが本物であることを重視し、最初のカタログ撮影を、クライマーから崇拝される岩峰、ユタ州モアブのキャッスルトン・タワーで実施しました。アートディレクターのロン・デュマスは次のように話しています。「本物のブランドとして位置づけたかったのです。登山家たちにキャッスルトン・タワーに登ってもらい、私たちはヘリコプターに乗りこみました。ちょうど日没間際で、ヘリコプターから身を乗り出して撮影しているフォトグラファーを、私は機体の縁に腰掛けて写真家を支えました。キャッスルトン・タワーは本当に美しく、頂上にいる登山家たちは小さな点のように見えました。壮大な光景でした」。

 

1989年にACGの初回プロダクトローンチの一部として発売されたフアスカラン・ジャケットは、ナイロンマイクロファイバー製のGORE-TEXシェルを採用し、ペルーのワスカラン山に着想を得たデザインのもと、脇下ガセット、ダブルストームフラップ、カーゴポケット、ジップインライナー対応機能に加え、レギュレーターライニングの内装と着脱可能なフードを備えることで、防寒性、耐久性、全天候対応性能を重視したACG初期の思想を体現するウインタージャケットとして展開されました。
1980年のセント・ヘレンズ山噴火から10年後、ナイキACGは噴火によって変化した山の姿を噴火前後の山を描いたパッチで表現し、衝撃や記憶、変化の恒久性を象徴する一方で、1980年代後半のACGにおけるシステムアプローチの中で断熱レイヤーとして設計されたマウント・セント・ヘレンズ・ジャケットには、厚手のポーラーフリース、リブ付きカフス、リバーシブル仕様のYKKジッパーを採用してアウターシェルとシームレスに組み合わせられる構造を持たせることで、初期ACGにおいてストーリーテリングと機能性が融合していたことを示しました。
キリマンジャロ・アノラック K2は、LDVを履いてK2ベースキャンプで撮影された2人のアメリカ人登山家のうちの一人であるジョン・ロスケリーが着用しサインを施したモデルで、1980年代初頭のポスターや1989年のACG広告にも登場し、2層および3層構造のGORE-TEXとナイロンマイクロファイバー製シェルを用い、補強ヨーク、脇下ガセット、複数のジッパーポケットを備えることで、ACG初期を形作った技術的デザイン思想を反映していました。

その年の秋、エア ワイルドウッド、ラバ ハイ、そしてGORE-TEXやフリースのアウターウェア群を中核とする初のACGコレクションが発表され、ナイキは正式にアウトドア市場への参入を表明しました。

 

1989年にACGのローンチの一環として登場した「エア ワイルドウッド ACG」は、エスケープとペガサスをベースに進化し、全天候型パフォーマンスにおいて必ずしも控えめなデザインが必要ではないことを示すモデルでした。

 

このモデルは、タフなディテールにアクセントカラーを組み合わせ、マイクロパーフォレーション加工の合成素材アッパー、ノコギリ形状のワッフルアウトソール、可変幅レーシングシステム、PUフットフレームを備え、さらに薄めのポリウレタン製ミッドソールのかかと部分にはエア ソール クッショニングを内蔵していました。

 

K2のベースキャンプで撮影された2人の登山家の写真は、やがてナイキにとってまったく新しい領域を切り開くきっかけとして、大きな意味を持つことになります。